2020-05-29 第201回国会 衆議院 国土交通委員会 第16号
日本は、二〇〇〇年のときだったですか、森政権のときですか、IT基本法という法律をつくって、IT化していくということを宣言したんですけれども、二十年たっても郵送の方が早い。こんなばかげた国はないですよね。
日本は、二〇〇〇年のときだったですか、森政権のときですか、IT基本法という法律をつくって、IT化していくということを宣言したんですけれども、二十年たっても郵送の方が早い。こんなばかげた国はないですよね。
一番このとき有効求人倍率が低かったのはどの政権かといえば、小渕政権、森政権、小泉政権ですよ。 私、なぜこういうことを言うかというと、一千兆円の国の借金があります。特に総理は、おじいちゃんの時代から政治の大一家じゃないですか。戦前からでしょう。総理のおじいさんは東条英機内閣の通商大臣でした。お父さんも政治家、外務大臣。そしておじさんも総理大臣をされて、御自身は最長の総理となろうとされている。
私も、例えば小泉政権のとき、森政権のときについては承知をしている立場でございますが、その中の交渉内容につきましては答弁は差し控えさせていただきたい、こう申し上げたところでございます。 基本的に、本多委員がおっしゃっている意味も私もよく理解をしておりますし、この空域については、いわば日本側としてこれを全面的に使わせてもらいたい、日本の空域としてですね、それはそういう気持ちはもちろんあります。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 森政権のとき、私は官房副長官として、ちょうど新幹線、整備新幹線の座長を務めさせていただいたところでございますが、委員が御指摘のように、まさに中進国は日本の新幹線を導入しようとしている、インドなんかもそうなんですが。あるいは、既に中進国から言わば成長を遂げた国としてのシンガポール、マレーシアもその間を新幹線で結ぼうとしている。
九〇年代末の、特に小渕総理の訪ロによってこの共同経済活動を進めるということで、御指摘のような二つの委員会、国境画定ともう一つはその共同経済活動、こういう形で進めようとしたわけでございますが、これはアイデアとしてはやはりロシア側がその少し前から出してきたというふうに最近伺いましたけれども、立ち消えになった理由というのは何なのかというのは私どもも必ずしもつまびらかにしませんが、やはり森政権になりまして、
しかし、私はこの問題は、やはり今までの日本外交の問題というのは、全て外務省の中に、いろんなことをリーダー、政権の方がやってきて、したがって外務省の中に自己矛盾が、どうやって進めるのか、2プラスアルファでいくのか4マイナスベータか、こういったような矛盾が沈殿していって、それで、これが森政権から小泉政権になるときにいろんな問題があったと理解しております。
これ実は、安倍総理が官房副長官のときに、森政権ですけど、虚偽答弁で閣僚が辞められました。中川元官房長官です。総理、官房副長官だったと思います。このときに、ある団体との関係について予算委員会等で、直接的に存じません、全く事実無根、記憶が十分でないと言われて、たまたま同席したことがあるかもしれないと徐々に徐々に揺れて、そして証拠を示されて辞任に至りました。これは完全に国会での虚偽答弁でした。
よく我が政権と総理は比べられますけれども、麻生政権や森政権と比べてどうかというのもここで見られます。 私は、もうそういう比較をしてお互いをなじり合うのはやめて、共通の基盤をつくって建設的な議論をし、この危機に対応することが何よりも大事だ、新たな時代をつくることが大事だということを申し上げて、質問を終わりたいと思います。 ありがとうございました。
森政権のときに、森さんは横浜でゴルフをしていた。官房長官は、福田さんは群馬県で、離れていた。結局、総理と官房長官がともに総理官邸から離れていたということの反省に立って、官房長官、これは暗黙のルールというのはあったんじゃないですか。つまり、官房長官は基本的に官邸周りにいる、離れるときは総理がかわりにいる、基本的にはそういうことじゃないですか。
平成十三年に森政権から小泉政権に移ると、経済財政諮問会議で交付税改革の議論が出てくることになります。平成十三年十一月二日の第二十五回会議において、財務省が中心となった中期経済財政計画についても議論となり、その中で財務省は、「「制度の改革の方向性を明確にすることが不可欠であり、特に地方交付税制度の改革の方向性等が明確に示されなければならない」。」
○安倍内閣総理大臣 森政権時代、私は官房副長官でありましたが、これには当時の森総理のサインはないわけでありまして、森総理がこの説明を受けていなかった可能性の方が私は高いと思いますし、私は官房副長官でありましたが、もちろん、そういう説明は一切受けていないわけでありますが、これは今までの答弁にのっとって答弁をするということだったんだろう、こう思うわけであります。
○安倍内閣総理大臣 二〇〇六年に私が総理に就任したとき、私は、それまで、森政権、小泉政権の官房副長官を務め、その後幹事長に抜てきをされ、その後幹事長代理に降格をし、そしてその後官房長官、さらには、圧倒的な支持をいただいて自由民主党の総裁に就任をいたしました。 ある意味においては、私自身、あれよあれよという間に総裁、総理になったということでありました。
同時に、森政権の行政改革大綱以来、現在の野田総理で八人目の総理大臣、開かれた国民的議論という観点からの審議会やあるいは研究会等が六つ、そしてILOからの勧告、報告は六回、法案の廃案が三法案という経過を踏まえて、なお改革は達成をされていない。一つの法制度がこれだけの時間と経過の下に変わらない、変えられないという例がほかにはないだろうというふうに思っています。
そういう面では、私は、この間、森政権なり小泉政権、安倍政権、福田政権、麻生内閣と続いてきておりますけれども、ここ最近三年半ぐらいは選挙をやっておりませんよね。民意も衆議院の側には十分反映されていない面もございますし、我々参議院の直近の民意は、一昨年選挙がありましたよ、その結果、与野党が完全に逆転しておるわけです。その国民の意思を無視しておるわけですよ。
大臣は公明党の幹事長として、森政権から小泉政権にかわるとき、中心者として携わっておられたと思うんですが、あのとき、景気の問題、緊急経済対策ということで手を打たれて、その一つが都市再生でした。 これは、緊急の経済対策だけではなくて、やはり今後の国土のあり方ということも考えて都市再生本部というものができまして、そのときの本部長が内閣総理大臣、小泉総理だったんです。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 私が森政権において官房副長官であったときに、クリントン当時の大統領が沖縄に来られました、そこで開かれたサミット出席のためでありますが。その際、平和の礎に赴かれまして、そこでスピーチをされたわけであります。私は、大変すばらしいスピーチであったと、このように思うわけでありますが。
ITも蒸気機関と同じで、ITそのものでは富を生み出さないわけでありますが、ITを活用することによって富を生み出していくのでありまして、今、日本は、幸い、森政権からスタートした、IT、世界最高水準の国家になる、この目標を達成して、廉価で最速の高速インターネット網を張りめぐらすことに成功したのでありますが、まだまだ戦略的に活用し切れているとは言えない。これからさらにこの分野に投資を促し、活用していく。
これは森政権の平成十三年度予算とほぼ同じ規模であります。国債発行三十兆円以内も、最後に帳じりを合わせただけではありませんか。これでも、財政再建に貢献したと強弁されるんでしょうか。お答えください。 第三に、小泉改革は社会の格差を拡大いたしました。 小泉総理の在任中に、所得の不平等指数であるジニ係数は〇・四七から〇・五〇へと拡大をしています。
昭和六十二年十月、「ポスト中曽根」として安倍晋太郎先生を総理にとの思いはかないませんでしたが、その後、森政権、小泉政権と「自立した保守」の理念が継承されてまいりました。
森政権までの政権が十一年掛けて減税も含めて十兆減らしたんですよ。小泉政権は、当初のたった二年間でまた十兆減らしちゃったということなんですね。税収不足が赤字国債のここまで巨額に膨れてしまった原因であると。 じゃ、税収不足は何で起きたのか。法人税収が落ちたのはなぜでしょうか。景気が悪くて赤字企業ばっかり増えたからではありませんか。所得税収が、増えたのはどうしてでしょうか。